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東照宮

東照大権現(徳川家康公)を伊達家の守護神としてお祀りするため、伊達家二代藩主忠宗公により承応三年(1954年)に建立。

天正十九年(1591年)に徳川家康公が葛西大崎一揆の視察を終えて帰還のおり、この地で休息されたゆかりの地として鎮座地に選ばれたとされる。(東照宮以前はこの地に天神社があったが、東照宮建立のため榴岡に移転:現在の榴岡天満宮)

東照宮の建立には5年の歳月、総人数八十三万四千八百三十五人、総工費小判二万二千四百四十三両が費やされた。諸国に良材を求め、一流の工匠達を起用し、仙台藩総力を挙げての大事業であり、伊達文化の粋を結集したものでもあった。

以降、伊達家の守護神として歴代藩主に崇敬され、明暦元年(1655年)より九月十七日を祭礼日とし、藩主在国の年には城下の町々に命じて神輿渡航の先駆として山車を出さしめ、領内最大の祭り仙台祭りを行った。(江戸時代末期まで)

明治維新後、藩の保護を離れたため境内は一時荒廃したが、氏子の努力によって再興され、明治十二年に郷社、大正四年に県社に昇格。大正十年には明治以降中断していた神輿渡航が再興され盛大に祭礼が執り行われた。

昭和二十八年三月に本殿、唐門、透塀、石鳥居が重要文化財に指定。昭和五十五年三月には随身門が追加指定される。

昭和五十九年御遷座三百三十年奉祝大祭が斎行され、三十年ぶりに神輿渡航が行わた。(以降は五年に一度)

文化財

随身門(国・重要文化財)

三間一戸の楼門形式で、屋根は入母屋造銅板葺きであるが、当初は銅瓦葺きで要所には錺金具を付けていた。内外部とも透漆塗りで、下階は金剛柵で囲み、左右に隨身像を安置する。各所に唐様、和様の手法をとりいれ複雑な斗組で構成するが、形態のつりあいがとれた重厚な門である。

本殿(国・重要文化財)

本殿は御神体をお祀りする、社殿の中で最も重要な建造物で、内部は内陣と外陣にわかれる。
大きさは桁行三間、梁間二間で入母屋造銅瓦葺き。建物は欅の木目を現した透漆塗りで内外部とも塗装を施している。
棟に千木、勝男木を載せ、高欄、木階は朱漆塗り、外部板壁は黒漆塗り。内陣の天井は折上げ小組格天井。木鼻には唐獅子、蛙股には松に鷹の彫刻、五箇所の扉の内外百二十面には、天女、龍、唐獅子を浮き彫りし、各所に精巧な鍍金金具を付け、御厨子の金梨地の蒔絵や扉の七宝金具等、工芸の粋を結集した極めて華麗な建造物である。

唐門と透塀(国・重要文化財)

唐門は一間一戸、向唐門形式で銅瓦葺き。透漆塗り、扉には鳳凰、麒麟、唐獅子の彫刻を付ける。天井と垂木の間、蟇股、扉の綿板に金箔を押す。形態均衡をえた流麗な門である。
本殿を囲む 透塀は、1周延長四十四間(79メートル)、透漆塗り、銅瓦葺き。連子窓、襷文は黒漆塗り、長押には錺金具を付ける。

石鳥居(国・重要文化財)

伊達忠宗公の奉納によるもので笠石の反りの緩やかな、明神鳥居形式の美しい形の鳥居である。鳥居の部材は花崗岩で、忠宗公夫人振姫の郷里備前国大島から運搬し建てられた。

※国指定重要文化財  本殿(附厨子一基、棟札一枚)、唐門、透塀、隨身門(附左右袖塀)、石鳥居(附石灯籠三十四基)
※県指定有形文化財  手水舎(附花崗岩造水盤)
※仙台市登録有形文化財  石段(表参道四十九段、東参道十七段)
※仙台市登録無形民俗文化財  東照宮神楽(春祭奉納)

行事

◆1月1日 歳旦祭
◆ 1月14日 どんと祭
◆ 2月3日 節分祭 撒豆式
◆ 2月17日 祈年祭
◆ 4月16日 宵祭
◆ 4月17日 例祭
◆ 4月第3土・日 春祭 神楽奉納
◆ 6月30日 夏越の大祓式
◆ 10月?11月 七五三祝祭
◆ 11月23日 新嘗祭
◆ 12月31日 年越の大祓式

◆ 毎月1日、17日  月次祭
◆ 毎月第4日曜日  骨董市